心和(cocowa)ブログ♪

主人と小学生の息子と3人暮らし🍀家族とののほほん日々を綴ります♪

私の両親との思い出✨Ⅰ✨

もく

こんにちは✨


今日は、私は教員時代のグッズの片付けをしました。
その時、当時、書いていた学級通信を見つけました🍀
その中に、「私の家族」と題した学級の子ども達に渡した最後の通信もありました。
私が中1の担任をしていたときの通信です。
私が27歳の時のことです。


このブログは、私の過去のこともたくさん書いてあるので、
今日はそんな懐かしい記事から載せ、私の両親について、
少しずつ紹介したいと思います。


自己満足の記事ですので、もしお時間がありましたら、
お付き合いくださいませ。



学級通信の原文をほぼそのまま載せます。





私の家族


皆に、どんな風に伝えようか、ずっと考えていました。
しかし、皆に私のことを全て話すことが、一番だと思いました。
皆、聞いてください。


私の父は、今、癌と必死に闘っています。
そして、家族皆で、力を合わせて頑張っています。


父が、胃の調子が悪いため、病院で検査を受けに行ったのは、
5月下旬の私の家族と旦那さんとなる家族との顔合わせが終わった次の週でした。
食事をすると、胃に何か引っかかる感じがしたためです。
父の母(私の祖母)は、父が中学生の頃、末期癌で亡くなっているため、
父は癌にだけは、気をつけようと、毎年検査はしていました。


そして、検査結果は、胃癌と診断。
毎年、バリウム検査では見落とされていた、落とし穴の胃の上部にできていました。
今回、胃カメラを撮って初めて、胃に胃癌があることが分かりました。
そして、さらなるCT検査の結果、癌が肝臓にも転移していることが分かりました。


6月、胃の全摘手術。手術に間、家族皆が、手術室の前の廊下の椅子に座り、
父の手術の成功を願い、一生懸命にお祈りしていました。
そして、10時間後、手術は成功。
しかし、担当の先生に、手術室の裏に家族だけ呼ばれ、聞かされた言葉は、
「あと1年。胃は無事にとれたが、肝臓の転移が進んでおり、肝臓の外から見ても、
肝臓は癌で腫れており、無数に癌がある」
来年の春に私の結婚があるとの母の問いには、「、、、、」との言葉でした。
母と妹と私、まさかの信じられない結果に、
自分で地面に立っていられないほどの衝撃でした。
頭の中では、元気な父が浮かび、「嘘でしょ?これは夢でしょ?」
そんな思いでいっぱいでした。
母は、手や足がガクガク震えだし、支えていないと倒れてしまい、
そんな母を見るのも初めてでした。


そして、集中治療室。
奥のベッドに父は居ました。
鼻からも口からもチューブをつけて、あのテレビで見たことのある心臓の音を
映し出す機械が置いてありました。
「お父さん、お父さん」・・・呼びかけに、ゆっくり目が開き、
目が見えないのか、意識が朦朧としているのか、私達家族を必死に探そうと、
顔を見つけようとしていました。
「大丈夫だからね」「手術成功したよ」「頑張ったね」・・・
父の目も見つめ、手を握り、必死に話しかけました。
かすかに頷く父。
呼吸をするのですら苦しそうな父が、かすかに手を握り返してくれた時、
「あー生きてる。生きててくれてる」そんな思いでいっぱいになり、
涙がいっぱい溢れてきました。



先生が、仕事を続けられないかも、と感じ始めたのは、
父が無事に退院し、学期末で仕事が忙しくなったときでした。
仕事を終え、家に帰ったとき、家族を思い遣るゆとりもなく、
無意識出ていたのが、「疲れた、疲れた」という言葉でした。
父を気遣う言葉、一つかけるゆとりもありませんでした。
父からの「○○(私の名前)、言う言葉が違うだろ?」の言葉に、はっとしました。
私にとって、掛け替えのない家族の大変なとき、家族が病気で苦しんでいるときに、
「今日はどうだった?大丈夫だった?」
そんな言葉さえ掛ける大切さに気づかない自分のことで精一杯の情けない自分がいました。


やるからには精一杯頑張りたい、力を抜くことができない、割り切ることもできない。
一つのことに精一杯頑張るという性格は、私の良いところではあるけれど、
たくさんのことが重なると、全てを上手にやることができない
要領が悪いところでもあるのです。
学校のことも一所懸命にやりたい、家族のことも頑張りたい、結婚の準備も・・・
全部を上手くやりきることは、苦しくて、できない自分がいて・・・
何度も、「自分が何人も居れば良いのに・・・」と思いました。



胃が無くなり、抗がん剤治療に入った父が、ご飯も食べれなくなることも多くなりました。
日に日に痩せ、51歳で仕事もバリバリで元気いっぱいだった父が、
70キロあった父が、50キロまで痩せ衰えてしまいました。
でも、諦めず、病気と必死に闘っている父を見て、
「今、親孝行しなくていつできるんだろう。今まで私を大切に育ててくれた父のそばで、
自分ができることを、今しか父にできないことを、父のために精一杯したい。
そばにいたい。父の支えになりたい」
と言う気持ちでいっぱいでした。


そして、学校の先生の仕事を3月で辞める決断をしました。


それからも、父は吐き気、下痢、体力低下と闘いながらも、
抗癌剤治療を頑張り続けました。
とうとう体重も50キロを切ってしまいました・・・
どんどん痩せ衰えていく父。
鏡を見ては「骨と皮になってしまった」と嘆く父。
こんなに苦しく、抗癌剤治療の奇跡を信じて頑張っているにもかかわらず、
なかなか効果が出ず・・・
無情にもこのままだと余命は半年と言われてしまいました。
そして、実は、母も、父の看護をあんなに頑張っていた母が、
この先のどうしようもない不安から、手足が震えが始まり、不安定になり、
薬を飲まないと、精神的に落ち着けない状態になっていました。


10月、父から「結婚式は4月は遠いな・・・」との話があったとき、
彼を相談し、11月に前撮りで家族写真を撮り、2月に式を挙げることにしました。
そして、2学期いっぱいで仕事を辞める決断をしました。
家族全員で過ごす時間を大切にしたい。家族のそばに居たい。
小さい頃からの夢だった先生という仕事、私にとって、大好きな大好きな皆との
中途半端の別れ、最後の教員生活が中途半端に皆に迷惑をかけながらやめることを
決断するのは、本当に辛く、苦しい選択でした。


今週の月曜日、新たなカテーテルを使った抗癌剤治療のため、手術を行いました。
病院の先生に、父は、「なんとしても結婚式に出て、娘の花嫁姿をみたい」
とお願いしたそうです。
病院の先生からは、「任せてください」との言葉。
父も私の幸せを心から願っており、
今、家族は、私の結婚式に出ることを目標に頑張っています。



・・・・・





この続きは、この学級との思い出と一人一人の生徒に呼びかけるメッセージに続いていきます。



懐かしい教員時代の私です。
両親との思い出の一つとして、今回は学級通信を載せました。


私の愛する両親です。
顔出ししちゃいますね🍀(*^^*)🍀




最後は亡き母と亡き祖母と私✨

従姉の結婚式✨




続きはまたいつか☆


今日は私の思い出記事にお付き合いいただき、本当にありがとうございました☆
皆さんに心から幸せを🍀✨

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